スタジオジブリが与えた社会的影響 ~新しい伝承文化へ

スタジオジブリが与えた社会的影響 ~新しい伝承文化へ

スタジオジブリが与えた社会的影響 ~新しい伝承文化へ

 今や国民的といえるほどの数々のアニメーション映画を作り出してきたスタジオジブリ(宮崎駿、高畑勲監督)は、現代における伝承文化を生み出しているといえるのではないか。
 宮崎駿監督・高畑勲製作によって製作された映画「風の谷のナウシカ」(1984年)のヒットによって、二人は自分たちのアニメスタジオ・スタジオジブリを設立するが、そこで最初に企画されたアニメ映画は、次のような少年少女の冒険物語だったという(亀山修 1986)。

 冒頭、水路際を女子高生がラッタッタ(当時流行ったスクーター:筆者注)で走っている。あるいは、男の子が自転車で走ってきて水路に落ちるところから始まる。とにかく二人は出会う。女の子は漁師町に住む、アルバイトにアサリをとっている美少女(!)

 このラストシーンについて、宮崎駿はナウシカとの関連で次のように書いている。

ぼくは(ナウシカを)ジャンヌ・ダルク にするつもりはなかったし、宗教色は排除しようと思っていたのに、結果として、あそこにきて(ラストシーン、ナウシカが王蟲に持ち上げられて朝の光で金色に染まる)宗教画になってしまったんです。(宮崎 1984=亀山 1986 )

 当時のスタジオジブリがこれほどまでに、筑後地方の柳川という地域にこだわったのは、〇〇が〇〇ということがあったと推測できる。宮崎駿監督にとって、当時、追求しようとおもっていたテーマは〇〇であり、これを〇〇することに大きなエネルギーを割いていた。「風の谷のナウシカ」という映画は、この〇〇を追及した映画であったが、〇〇を〇〇として描くことには成功しなかったという思いが宮崎駿にあったようである(亀山修 1986)。

その映画は日本人と水との関わりあいをテーマにしているから、「風の谷のナウシカ」の延長は、そっちで展開しちゃっているし、本当の事を言うと僕だけポツンと取り残されてしまいましてね。結局「風の谷のナウシカ」のテーマは、つきつめて、はっきり言えば、あとは手前は何をやるの? っていう問題だけなんですね。もう論じることは啓蒙することじゃないんですよ。はっきり言って、そうなんです。あとは<物語を楽しむ>問題しか残ってないんです。(野村 1986)

 このとき、たまたま旅をしてであったのは水と人々が深いつながりをもっていた筑後地方・柳川という地域だった。「柳川掘割物語」で描いているとこでいえば、この地域の人々は〇〇を〇〇で〇〇している。このような点に、宮崎駿・高畑勲監督は、〇〇の〇〇ということに対する答えを見つけようとしたようである。
 このように考えてみると、現在、日本の現代文化に大きな影響を与えたスタジオジブリの作品は、単にエンターテーメントのための娯楽作品とは大きく異なると言えるようだ。そしてこの映画を見た多くの人たちは、筑後地方の〇〇という文化の意義に、おそらく知らず知らずのうちにであるだろうけれども、深く影響を受けていると言えるのかもしれない。

参考文献
宮崎駿2002, 「風の谷から油屋まで」『風の帰る場所――ナウシカから千尋までの軌跡』ロッキング・オン.
亀山修, 1986, 「Introduction」アニメージュ編集部編『The Art of Laputa』徳間書店.
石橋潔. 2016, 「ラピュタのペンダントのある場所 ― スタジオジブリと筑後地方、柳川」『久留米大学文学部紀要 情報社会学科編』Vol.11, p.1-14
宮崎駿, 1986 ,「個人的には『ナウシカ』からの連続性があるんです」徳間書店編『ロマンアルバム 天空の城ラピュタ』徳間書店

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