万葉集
空・日・月・星
- わたつみの
豊旗雲 に入日さし今夜 の月夜 さやけかりこそ……巻一1・中大兄皇子 東 の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ……巻一1・柿本人麻呂去年 見てし秋の月夜は照らせども相見し妹はいや年放 る……巻二2・柿本人麻呂- 夕闇は道たづたづし月待ちていませ我が
背子 その間にも見む……巻四4・大宅女 - 振り
放 けて三日月見れば一目見し人の眉引 き思ほゆるかも……巻六6・大伴家持 天 の海に雲の波立ち月の舟星の林に漕ぎ隠る見ゆ……巻七7・柿本人麻呂歌集- 彦星し
嬬 迎へ船漕ぎ出 らし天河原に霧の立てるは……巻八8・山上億良 - 君が行く道の
長手 を繰 り畳 ね焼き滅ぼさむ天 の火もがも……巻一五15・狭野弟上娘子
雲・雨・雪・霧・風
采女 の袖吹きかへす明日香風京 を遠みいたづらに吹く……巻一1・志貴皇子- 秋の田の穂の上にきらふ朝霞いつへの方に我が恋やまむ……巻二2・磐姫皇后
- 我が里に大雪降れり大原の古りにし里に降らまくは
後 ……巻二2・天武天皇 - 我が岡の
龗 に言ひて降らしめし雪の摧 けしそこに散りけむ……巻二2・藤原夫人 - 大君は神にしませば
天雲 の雷 の上に廬 りせるかも……巻三3・柿本人麻呂 - 滝の上の
三船 の山に居 る雲の常にあらむと我が思はなくに……巻三3・弓削皇子 - 苦しくも降り来る雨か三輪の
崎 狭野 の渡りに家もあらなくに……巻三3・長奥麻呂 - 君待つと
我 が恋ひ居れば我がやどの簾動かし秋の風吹く……巻四4・額田王 - あしひきの
山川 の瀬の鳴るなへに弓月 が岳に雲立ち渡る……巻七7・柿本人麻呂歌集 秋津野 に朝居る雲の失せ行けば昨日も今日もなき人思ほゆ……巻七7・作者未詳- ひさかたの
天 の香具山この夕 霞たなびく春立つらしも……巻一〇10・柿本人麻呂歌集 - 君が行く
海辺 の宿に霧立たば我 が立ち嘆く息と知りませ……巻一五15・遣新羅使人等 新 しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事 ……巻二〇20・大伴家持
山・岡
籠 もよみ籠 持ちふくしもよみぶくし持ちこの岡に菜摘ます児家のらせ名告 らさね……巻一1・雄略天皇高山 は畝傍 ををしと耳梨と相争ひき神代よりかくにあるらし……巻一1・中大兄皇子- 三輪山を
然 も隠すか雲だにも心あらなも隠さふべしや……巻一1・額田王 - 春過ぎて夏来たるらし白たへの衣乾したり天の香具山……巻一1・持統天皇
- 二人行けど行き過ぎかたき秋山をいかにか君がひとり越ゆらむ……巻二2・大伯皇女
石見 のや高角山 の木 の間より我が振る袖を妹見つらむか……巻二2・柿本人麻呂- うつそみの人なる我や明日よりは
二上山 を弟 と我 が見む……巻二2・大伯皇女 - 朝日照る佐田の岡辺に群れ居つつ我が泣く涙やむ時もなし……巻二2・日並皇子舎人
- 降る雪はあはにな降りそ
吉隠 の猪養 の岡の寒からまくに……巻二2・穂積皇子 弥彦 おのれ神さび青雲のたなびく日すら小雨そほ降る……巻一六16・越中国歌鶏 が鳴く東 の国の陸奥 の小田なる山に金 ありと申したまへれ御心を明らめたまひ……巻一八18・大伴家持- 日な曇り
碓氷 の坂を越えしだに妹が恋ひしく忘らえぬかも……巻二〇20・他田部子磐前
野
- たまきはる宇智の大野に馬並めて朝踏ますらむその草深野……巻一1・中皇命
- あかねさす紫野行き
標野 行き野守 は見ずや君が袖振る……巻一1・額田王 安騎 の野に宿る旅人うちなびきいも寝 らめやも古 思ふに……巻一1・柿本人麻呂引馬野 ににほふ榛原 入り乱れ衣にほはせ旅のしるしに……巻一1・長奥麻呂- いづくにか我が宿りせむ高島の
勝野 の原にこの日暮れなば……巻三3・高市黒人 - 春の野にすみれ摘みにと
来 し我そ野をなつかしみ一夜寝にける……巻八8・山部赤人 旅人 の宿りせむ野に霜降らば我 が子羽 ぐくめ天 の鶴群 ……巻九9・遣唐使母我 が恋はまさかもかなし草枕多胡 の入野 の奥もかなしも……巻一四14・東歌婦負 の野のすすき押しなべ降る雪に宿借る今日し悲しく思ほゆ……巻十七17・高市黒人
海
熟田津 に舟乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな……巻一1・額田王- いづくにか
舟泊 てすらむ安礼 の崎漕ぎたみ行きし棚なし小舟 ……巻一1・高市黒人 - 近江の海夕波千鳥
汝 が鳴けば心もしのに古 思ほゆ……巻三3・柿本人麻呂 - 世の中を何に
喩 へむ朝開き漕ぎ去 にし舟の跡なきごとし……巻三3・沙弥満誓 - 若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして
鶴 鳴き渡る……巻六6・山部赤人 - 大海に島もあらなくに海原のたゆたふ浪に立てる白雲……巻七7・作者未詳
- 我のみや
夜舟 は漕ぐと思へれば沖辺の方 に梶の音すなり……巻一五15・遣新羅使人等 - 家にてもたゆたふ命波の上に思ひし
居 れば奥か知らずも……巻一七17・大伴旅人傔従等 志雄路 から直 越え来れば羽咋 の海朝なぎしたり舟梶もがも……巻一七17・大伴家持
川・池
- 河の
上 のゆつ磐群 に草生 さず常にもがもな常処女 にて……巻一1・吹芡刀自 - 昔見し
象 の小川を今見ればいよよさやけくなりにけるかも……巻三3・大伴旅人 - 吉野なる
夏実 の川の川よどに鴨そ鳴くなる山影にして……巻三3・湯原王 - ももづたふ
磐余 の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ……巻三3・大津皇子 - 千鳥鳴く佐保の川瀬のさざれ波やむ時もなし
我 が恋ふらくは……巻四4・大伴郎女 巻向 の山辺 とよみて行く水の水沫 のごとし世の人我は……巻七7・柿本人麻呂歌集- 多摩川にさらす手作りさらさらになにそこの児のここだかなしき……巻一四14・東歌
信濃 なる千曲 の川の小石 も君し踏みてば玉と拾はむ……巻一四14・東歌朝床 に聞けば遥けし射水川 朝漕ぎしつつ唱ふ舟人……巻一九19・大伴家持
鳥・獣・虫・魚
葦辺 行く鴨の羽がひに霜降りて寒き夕は大和し思ほゆ……巻一1・志貴皇子古 に恋ふる鳥かもゆづるはの御井の上より鳴き渡りゆく……巻二2・弓削皇子- あな
醜 賢 しらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿にかも似る……巻三3・大伴旅人 沖辺 行き辺 に行き今や妹がため我が漁 れる藻伏束鮒 ……巻四4・高安王- 世の中を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば……巻五5・山上憶良
- ぬばたまの夜のふけゆけば
久木 生 ふる清き川原に千鳥しば鳴く……巻六6・山部赤人 - 児らしあらば二人聞かむを沖つ
渚 に鳴くなる鶴 の暁 の声……巻六6・守部王 暁 と夜烏鳴けどこのもりの木末 が上はいまだ静けし……巻七7・作者未詳- 三国山
木末 に住まふむささびの鳥待つごとく我待ち痩せむ……巻七7・作者未詳 百済野 の萩の古枝 に春待つと居りしうぐひす鳴きにけむかも……巻八8・山部赤人- 夕されば小倉の山に鳴く鹿は
今夜 は鳴かず寝 ねにけらしも……巻八8・舒明天皇 - ひぐらしは時と鳴けども恋ひしくにたわやめ
我 は定まらず泣く……巻一〇10・作者未詳 - こほろぎの待ち喜ぶる秋の夜を
寝 る験 なし枕と我は……巻一〇10・作者未詳 - たらつねの母が
養 ふ蚕 の繭隠 り隠 れる妹を見むよしもがも……巻一一11・柿本人麻呂歌集 - 川の瀬の石踏み渡りぬばたまの
黒馬 の来 夜は常にあらぬかも……巻一三13・作者未詳 - 馬買はば妹
徒歩 ならむよしゑやし石は踏むとも我 は二人行かむ……巻一三13・作者未詳 - 烏とふ大をそ鳥のまさでにも来まさぬ君をころくとそ鳴く……巻一四14・東歌
- 妹をこそ相見に来しか
眉引 の横山辺 ろの猪 なす思へる……巻一四14・東歌 石 走る滝もとどろに鳴く蝉の声をし聞けば都し思ほゆ……巻一五15・大石蓑麻呂- さし鍋に湯沸かせ子ども
櫟津 の檜橋 より来む狐に浴 むさむ……巻一六16・長意吉麻呂 石麻呂 に我物申す夏痩せに良しといふものそ鰻 捕り喫 せ……巻一六16・大伴家持- 痩す痩すも生けらばあらむをはたやはた鰻を捕ると川に流るな……巻一六16・大伴家持
韓国 の虎といふ神を生け捕りに八頭 捕り持ち来その皮を畳に刺し……巻一六16・乞食者- 春の野に霞たなびきうら悲しこの夕影にうぐひす鳴くも……巻一九19・大伴家持
- うらうらに照れる
春日 にひばり上がり心悲しもひとりし思へば……巻一九19・大伴家持
木・草・花
紫草 のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我 恋ひめやも……巻一1・天武天皇巨勢山 のつらつら椿つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を……巻一1・坂門人足- 笹の葉はみ山もさやにさやげども我は妹思ふ別れ来ぬれば……巻二・柿本人麻呂
磐代 の浜松が枝を引き結びま幸 くあらばまたかへりみむ……巻二2・有間皇子家 にあれば笥 に盛る飯 を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る……巻二2・有間皇子高円 の野辺 の秋萩いたづらに咲きか散るらむ見る人なしに……巻二2・笠金村歌集- 藤波の花は盛りになりにけり奈良の都を
思 ほすや君……巻三3・大伴四綱 - あをによし奈良の都は咲く花の
薫 ふがごとく今盛りなり……巻三3・小野老 我妹子 が見し鞆 の浦のむろの木は常世 にあれど見し人そなき……巻三3・大伴旅人- 秋さらば見つつしのへと妹が植ゑしやどのなでしこ咲きにけるかも……巻三3・大伴家持
- 目には見て手には取らえぬ月の内の
楓 のごとき妹をいかにせむ……巻四4・湯原王 - 妹が見し
楝 の花は散りぬべし我が泣く涙いまだ干なくに……巻五5・山上憶良 - 我が
園 に梅の花散るひさかたの天 より雪の流れ来るかも……巻五5・大伴旅人 - 立ちかはり古き都となりぬれば道の芝草長く生ひにけり……巻六6・田辺福麻呂歌集
石走 る垂水 の上のさわらびの萌 え出づる春になりにけるかも……巻八8・志貴皇子- かはづ鳴く神奈備川に影見えて今か咲くらむ山吹の花……巻八8・厚見王
- 春さればまづ
三枝 の幸 くあらば後 にも逢はむな恋ひそ我妹 ……巻一〇10・柿本人麻呂歌集 - 橘の
本 に我が立ち下枝 取り成らむや君と問ひし児 らはも……巻一一11・柿本人麻呂歌集 - 玉敷ける家も何せむ八重むぐら覆へる
小屋 も妹と居りてば……巻一一11・作者未詳 蓮葉 はかくこそあるもの意吉麻呂 が家なるものは芋 の葉にあらし……巻一六16・長意吉麻呂- 春の園紅にほふ桃の花
下照 る道に出で立つ ……巻一九19・大伴家持嬬
- もののふの
八十 らが嬬
汲 みまがふ寺井の上の堅香子 の花……巻一九19・大伴家持 - 筑波嶺のさ
百合 の花の夜床 にもかなしけ妹そ昼もかなしけ……巻二〇20・大舎人部千文 - 池水に影さへ見えて咲きにほふあしびの花を袖に
扱入 れな……巻二〇20・大伴家持
人
- ますらをや片恋せむと嘆けども
鬼 のますらを尚恋ひにけり……巻二2・舎人皇子 憶良 らは今は罷らむ子泣くらむそれその母も我 を待つらむそ……巻三3・山上憶良験 なきものを思はずは一坏 の濁れる酒を飲むべくあるらし……巻三3・大伴旅人- 我が
背子 は物な思ひそ事しあらば火にも水にも我がなけなくに……巻四4・安倍女郎 - 相思はぬ人を思ふは
大寺 の餓鬼の後 に額 つくごとし……巻四4・笠女郎 - 世の中は空しきものと知る時しいよよますます悲しかりけり……巻五5・大伴旅人
銀 も金 も玉も何せむに優 れる宝子にしかめやも……巻五5・山上憶良士 やも空しくあるべき万代 に語り継ぐべき名は立てずして……巻六6・山上憶良幸 ひのいかなる人か黒髪の白くなるまで妹が声を聞く……巻七7・作者未詳- 君なくはなぞ身装はむくしげなる
黄楊 の小櫛 も取らむとも思はず……巻九9・播磨娘子 - 朝影に
我 が身はなりぬ玉かきるほのかに見えて去 にし児故に……巻一一11・柿本人麻呂歌集 - 紫は灰さすものそ
海石榴市 の八十 の衢 に逢へる児や誰 ……巻一二12・作者未詳 信濃道 は今の墾 道刈りばねに足踏ましむな沓 はけ我が背……巻一四14・東歌- 稲搗けばかかる
我 が手を今夜 もか殿の若子 が取りて嘆かむ……巻一四14・東歌 防人 に立ちし朝明 の金門出 に手離 れ惜しみ泣きし児らはも……巻一四14・防人歌- 家にある
櫃 に鏁 刺し蔵 めてし恋の奴 のつかみかかりて……巻一六16・穂積皇子 一二 の目のみにはあらず五六三四さへありけり双六 の頭 ……巻一六16・長意吉麻呂- 我が妻も絵に描き取らむ
暇 もが旅行く我 は見つつ偲はむ……巻二〇20・物部古麻呂 - 父母が
頭 掻き撫で幸 くあれて言ひし言葉 ぜ忘れかねつる……巻二〇20・丈部稲麻呂 韓衣 裾に取り付き泣く子らを置きてそ来 ぬや母 なしにして……巻二〇20・他田舎人大島防人 に行くは誰 が背と問う人を見るがともしさ物思 もせず……巻二〇20・昔年防人歌